2019.12.19 Thursday

【東京店】取扱作家から毎週一作家1点ずつご紹介。 第24回は、奥山民枝(1946年〜)

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    JUGEMテーマ:美術鑑賞

     

    みぞえ画廊のコンセプト:「流行や時代に左右されない、上質な作品、作家を提供」をもとにセレクトされた取扱作家から毎週一作家、1点ご紹介します。

     

    今回も今まさに活躍中の現代作家を取り上げます。

    第24回は、奥山民枝(1946年〜)

     

    雲の記憶17-10 P80

     

    1969年東京芸術大学美術学部工芸デザイン科に入学。在学中には舞台壁画なども手がけ、卒業して油絵や日本画など独学で絵画制作を始めました。1987年朝日新聞小説「黄色い髪」の挿画を担当。1992年には第35回安井賞受賞。1998年鉛筆画は画集「手のなかのいのち」にまとめられました。

     

    「雲が生まれるとき、空気中に浮遊するあらゆる無機物・有機物が複雑に絡まり、それらが核となって雲が形成されるということが科学の世界では分かっています。その化合物によって、雲のかたちが決まり、寿命が決まり、位置が決まり、雲が出来上がります…

    雲を形成しているのは水ですが、物理学者や科学者にとって水とは、液体であり、気体にもなり、個体にもなりと、宇宙的な視点で見ても稀有な存在です。2個の水素原子は酸素原子に対し104.5度の角度で結びつきます。これは〈いのちの角度〉と呼ばれています。これがゆえに、私たちの遺伝子はらせん状に形成されていて、細胞の核の中に納まるようになっています。あらゆる命には、H2Oが何らかの形で絡んでいます。」過日のギャラリートークでこんな話をされました。

    世界各地を放浪した経験を持ち、旅行中に起きたハプニング、出会った人々との交流、様々な景色に、それまでの自分の物差しが崩壊するような、価値観を覆されるような経験をしました。すべての現象に生命を感じ、「この宇宙に存在する物は等しく命を持っている。」と強く感じます。

     

    空に浮かぶ雲、大気の何気ない現象にも画家の眼差しが注がれました。雲、山、太陽、地球と自分が一体となる感覚を表現するには、それらに血肉が通っているように描けばいいのではと考えます。膨らんできた好奇心のままに、奥山民枝の想像力の世界を描く新たな画風が始まりました。

     

    雲を描いた作品には「雲の記憶」「雲笑(くもえみ)」「微光転座」「天庭」、海を描いた「春の群波」「天空にひそむ光」「大気の記憶」、太陽を描いた「陽日」「煌陽」「貴陽」など、独特の感性でタイトルが付けられています。

     

    田園調布・東京店には奥山民枝油彩P50「白い海」、他にも4点の油彩をご覧いただけます。

    銀杏並木が美しい季節です。ぜひご高覧賜りたく、ご案内申し上げます。

     

              

    「陽情」「1億年分の4光年」「水平線上の出来事」「陽容」     「白い海」  

    2019.09.07 Saturday

    東京店 特別展示《 鴨居 玲 》

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      JUGEMテーマ:美術鑑賞

       

      日本を代表する伝説の洋画家、鴨居玲。

      9月7日は彼の命日を迎えます。

      1928年生まれ、1985年に57歳で亡くなりました。

       

      俯いてギターを抱え左の指でしっかりと弦を抑え、小さく口を開けて唄う老人の上にのしかかる巨大な岩石…

       

      ひとりの老人はワイングラスを前に押し黙り、ひとりは驚いたように小さく口を開け、窓の外には美しい蛾が大きく羽を広げ…

       

      作品に対峙すると思わず足が止まり、惹き込まれ、沈黙の対話が始まります。

      919日(木)までこの2点を東京店に展示しています。

      是非、この油彩画の前に立ってごご覧ください。

        

            

      「石」 F15号 1974年  

       

         

      「蛾」 F50号 1968年

       

       

      みぞえ画廊は鴨居玲作品が充実しています。どうぞお問合せ下さい。

      https://mizoe-gallery.com/products/list?category_id=91

       

      スタッフブログ2018.7.27 〈鴨居玲〉

      http://blog.mizoe-gallery.com/?month=201807

      2019.08.25 Sunday

      【東京店】取扱作家から毎週一作家1点ずつご紹介。 第22回は、ジョエル・シャピロ(1941年 〜)

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        JUGEMテーマ:美術鑑賞

         

        みぞえ画廊のコンセプト:「流行や時代に左右されない、上質な作品、作家を提供」をもとにセレクトされた取扱作家から毎週一作家、1点ご紹介します。

         

        Untitled (Double Green) 」リトグラフ74.7×1051980

         

        ジョエル・シャピロはアメリカを代表する彫刻家のひとりです。1941年にニューヨークに生まれ、現在もニューヨークに居を構え制作活動を行っています。1964年ニューヨーク大学を卒業後、1969年に同大学院文学修士を取得。1969年以降、アメリカ及びヨーロッパ各地で個展やグループ展にて作品を発表し続け、高い評価を獲得しています。

                   

        シャピロの代名詞は単純な長方形で構成された巨大な彫刻です。国内では博多駅前の西日本シティ銀行(磯崎新設計)や川村記念美術館などに収蔵されています。また、彫刻作品と並行して、繊細なドローイングやシルクスクリーン、リトグラフなどの技法による版画作品を発表。装飾要素をできる限り削ぎ落とし即物的な視覚効果を提示するミニマリズムの枠組みを踏襲しながら、主に人体などの具象的なイメージを暗示させるという美術史における転換期ともいえるスタイルを確立しています。大型の彫刻や版画など多様な作品は各国で紹介され、名実ともに彫刻界を代表するひとりとして名を連ねます。

         

        当画廊では、1979〜80年にかけて制作された初期のリトグラフ作品を取り扱っております。

         

        上記の作品は、都内に設置されている公共彫刻。(シリコンブロンズ、1988‐1990)

        場所:東京都港区虎ノ門4−3−1 城山トラストタワー(地下鉄神谷町駅から歩いて5分ほどのオフィスビルのエントランスに設置)

         

        https://mizoe-gallery.com/products/list?category_id=101

        2019.05.26 Sunday

        【東京店】取扱作家から毎週一作家1点ずつご紹介。 第21回は、児島善三郎(1893年 明治26年 〜 1962年 昭和37年)

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          JUGEMテーマ:美術鑑賞

           

          【東京店】取扱作家から毎週一作家1点ずつご紹介。

          21回は、児島善三郎1893 明治26 1962 昭和37年)

          みぞえ画廊のコンセプト:「流行や時代に左右されない、上質な作品、作家を提供」をもとにセレクトされた取扱作家から毎週一作家、1点ご紹介します。

           

          「田園早春」油彩F4号 1960年頃

           

          明治4519歳で長崎医学専門学校薬学科に入学しますが、画家を志して中退。大正2年、父親の反対を押し切って上京します。美術学校の受験に失敗し、結核を罹患して帰福。5年間の療養の後、家督を弟に譲って再度上京します。病気をしたことで、何が一番大切かを教えられた一方、居宅近辺、自宅の庭、アトリエの人物、静物などのモチーフが多いことは、病弱な体質であったことと無関係ではありませんでした。

           

          児島善三郎の作品はアトリエの場所によって、板橋、代々木、国分寺、荻窪、そして滞欧時代などと分かれています。風景画は戸外にイーゼルを立てて写生を基本としました。大胆な筆づかいは、田園の空気にひたりながらひたすら形を崩して描写的要素を溶かし、その空気の実感を掴み取ろうとしました。

           

          アトリエで描かれた花の絵は、驚くほどくっきりとしています。数日でしぼんでしまう弱い花を、赤、黄、白と力強く明快な色づかいで描いています。鋏で切って思い切りよく花瓶に挿し、形を作り上げた勢いが感じられます。

           

          50代後半、「油彩画は西洋から日本へ移植されたものだが、もうそろそろ日本人の感性にしたがって個性を出すべきである。日本的創造精神によって日本人らしい油彩画をつくりあげればそれが世界的になり、日本の油彩画として独立し、国際的に外国へ働きかけることも不可能ではない。」と語り、世界的視野で創造すべきだと唱えました。

           

          19612月、再び渡欧を決意しますが持病の徹底的治療のため稲毛の額田病院に入院。入院に際して描きかけの旧作100点近くを庭先で焼却したと次男徹郎氏は語っています。翌年3月肝臓がんで死去、69歳。「田園早春」は晩年荻窪時代の貴重な作品で、現在東京店に展示中です。

          ぜひご高覧賜りたくご案内申し上げます。

          https://mizoe-gallery.com/products/list?category_id=101

          2019.02.16 Saturday

          【東京店】取扱作家から毎週一作家1点ずつご紹介。第18回は、香月泰男(1911年10月25日 - 1974年3月8日)

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            JUGEMテーマ:美術鑑賞

             みぞえ画廊のコンセプト:「流行や時代に左右されない、上質な作品、作家を提供」をもとに取扱作家から毎週一作家、1点ご紹介します。

            第18回は、香月泰男19111025 - 19743月8日)

             

             

             『シベリア・シリーズ 』 4枚組リトグラフ 1969年 Ed.50

             

            東京美術学校を卒業した香月泰男は、下関高等女学校で美術を教えていたところ、1943年召集され満州に出征。2年後大陸で終戦を迎えますが、シベリアに抑留されました。冬は−40℃にもなるシベリア・クラスノヤルスク地区セーヤ収容所でおよそ2年間、森林伐採などの過酷な強制労働に従事して、1947年5月帰還します。

             

            帰還後早々に、後に『シベリア・シリーズ』と呼ばれる油彩画を描き、翌年も描きますが、その後シリーズは8年間中断します。1956年秋から半年間ヨーロッパ旅行に出発し、フランス、スペイン、イタリア等を巡る中で、中世の彫刻や絵画、またダ・ヴィンチなどによるルネサンス期のモノクロに近い絵画に出会います。中世の彫刻にある陰影の強い顔は、『シベリア・シリーズ』独特の「顔」の表現を生み出すきっかけになりました。収穫の多かったこのヨーロッパ旅行後、香月は本格的に『シベリア・シリーズ』に取り組みます。

            50年代後半になると、香月のパレットから徐々に明るい色が消えていき、黒や灰色、黄土色が画面を支配するようになっていきます。50年代末には、後年の香月作品のトレードマークといえる、黒と黄土色を基調とした作風が確立され、1959年、堰を切ったかのように、『シベリア・シリーズ』3作品が一挙に発表されました。

             

            「シベリアのことを思い出したくなどない。絵にしようと思って絵にするのではなく、自然に浮かびあがってくる。描くたびまだまだシベリアを語りつくしていないと感じる。シベリアで真に絵を描くことを学んだ。モチーフが無限に自分のなかから湧いてくる」

            抑留者の数だけ違うシベリアがあります。『シベリア・シリーズ』が今でも人々の心を惹きつけるのは、政治的な主義主張を下敷きにしたものではなく、あくまでも一人の画家の個人的な想いを描いたものであり、それが普遍性を持つもの、家族への愛情、運命に翻弄されることに対する怒り、悲しみ、諦め、そして希望を表現しているからではないでしょうか。

             

            油彩シベリア・シリーズは、出征、終戦、シベリアへの輸送、抑留生活、復員と、香月が実際に体験した順番の通りには描かれていません。シリーズとは呼ばれるものの、57点の油彩画は初めから体系的に描かれたのではなく、シベリアでのランダムな記憶が結実した作品群といえます。

             

            みぞえ画廊には1969年に制作された『シベリア・シリーズ』雪・窓」「運ぶ人」「雪」「避難民」と題した4枚組リトグラフ(サイン入り、限定50部)がございます。是非ご高覧賜りたくご案内申し上げます。

            https://mizoe-gallery.com/products/list?category_id=250 

            2019.01.26 Saturday

            【東京店】取扱作家から毎週一作家1点ずつご紹介。第17回は、櫻井孝美(さくらいたかよし 1944年〜)

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              JUGEMテーマ:美術鑑賞

               

              みぞえ画廊のコンセプト:「流行や時代に左右されない、上質な作品、作家を提供」をもとにセレクトされた取扱作家から毎週一作家、1点ご紹介します。今回は今まさに活躍中の現代作家を取り上げます。

               

              第17回は、櫻井孝美 (さくらいたかよし 1944年〜  )

               

                                富嶽・寧 』油彩3

               

              2015年ノーベル生理学・医学賞を受賞された大村智先生は、櫻井孝美作品集「煌く日々」(生活の友社刊)の冒頭にこんな言葉を寄せておられます。

              「世界中を見渡しても見られないであろう、浴室で楽しむ家族をモチーフにした作品群があった。こんな絵を描く作家に出会ったことはなかった… 40歳代前半の櫻井氏は第31回安井賞、第22回昭和会賞など、立て続けに大きな賞を受賞していた時期だったが、山梨県下でこのような作家が活動していたことを知らずにいた。美術に関心のある私にとって、甚だ不明の極みである。それだけに第一印象は強烈であった。独創性と色彩感覚、それに表現力を極めた作家の作品は、多くの者の関心を呼び起こし、話題が多い」

               

              『家族』、『浴室』以外に、『富士山』を描いた作品群があります。

              23(1967)の春、富士吉田に移り住みました。「この山の完璧な容姿に絶句し、私はすぐにこの感動をキャンバスに向け挑戦した。しかし、いとも簡単に突き放され、跳ね飛ばされた」以来、四季折々の富士山を眺め、富士を描きたいと挑戦し続けました。「いちいち説明できるような深い意味などない。何かの喜びや憧れがひたすら後押ししてくれる」と語る櫻井孝美の作品は、弾けるようなエネルギーに溢れ、穏やかな笑顔を湛えた姿のどこからそんなバイタリティが沸いてくるのかと思わされます。

               

              1976年、日大芸術学部美術学科卒業生により「土日会」が発足しました。土に根差して日に向かって伸びていこうという意味で糸園和三郎が名付けた「土日会」の、櫻井孝美は代表を務めています。

              北里大学看護専門学校内大村記念館エントランスホールの真正面には500号の大作『マンハッタン陽々』が展示され、来館者の心を一気に惹きつけます。

               

              底抜けに明るい色彩、破天荒な空間、解放感、太古のエネルギーを持った『富士山』をぜひ感じていただきたいと思います。 

              櫻井孝美の油彩『富嶽・寧は田園調布ギャラリーにてご覧いただけます。

              https://mizoe-gallery.com/products/list?category_id=&name=%E6%AB%BB%E4%BA%95%E5%AD%9D%E7%BE%8E

              2018.12.23 Sunday

              【東京店】取扱作家から毎週一作家1点ずつご紹介。 第16回は、田部光子(1933年〜  )

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                JUGEMテーマ:美術鑑賞

                みぞえ画廊のコンセプト:「流行や時代に左右されない、上質な作品、作家を提供」をもとにセレクトされた取扱作家から毎週一作家、1点ご紹介します。今回は今まさに活躍中の現代作家を取り上げます。

                第16回は、田部光子(1933年〜  )

                 

                 

                I Love The Earth 供別擇北彩、アクリル、純金箔、石膏、コラージュ)

                 

                『I Love The Earth 供戮蓮⊇禧眷鵑両紊法地球を取り巻く惑星、植物、薔薇、天使など図版を切り取ってコラージュ、四隅に金箔の林檎。手話で〈永遠の愛〉を表す石膏の手が取り付けられた作品です。

                 

                庭で育ったリンゴを石膏で型取りオブジェにして、金箔を貼りつめた箱の中央に金箔の林檎を置いて、An apple a day keeps the doctor away(1日1個のリンゴで医者いらず)と記した「健康作品」など、長く続く「リンゴ」シリーズがあります。田部光子は「わたしにとって林檎は一つの宇宙である」と語っています。

                 

                2001年9月ニューヨークで個展が開かれるはずでした。画廊に作品が到着したのは、9.11のテロが起こる前日のこと。渡米することは叶わず、作家不在のまま個展は開催されました。同時多発テロの直後、戦争は問題を解決する答えではない、と芸術の力で訴える作品「テロに勝つ」と題した屏風を模した4枚のキャンバスを発表。そこにも「いつも一緒にいたい」「愛」を手話で表現した石膏オブジェが取り付けられました。

                 

                芸術の力でしか救えないことがあると信じ、「芸術にはじかに感性に訴えることができる」と語り、

                用具や材料に対する既成概念に捉われずに多彩な表現手段を用いて制作しています。

                 

                田部は1933年 台湾に生まれました。

                1950年代、前衛芸術運動が巻き起こり、関西の具体美術協会などと並び、運動を牽引したのが福岡を拠点とする九州派でした。田部と九州派との付き合いは1957年頃からで、近年、旗揚げから解散まで在籍していた田部光子の評価が進んでいます。「芸術家は進化し続けなければならない。進化するには挑戦し続けなければならない」戦後九州の女性芸術家を牽引し、現在も現代美術の第一線で旺盛な活動を続け、九州女流画家展主宰。蔵書が数千冊ある読書家でもあります。

                 

                田部光子『I Love The Earth 供戮賄豕店にて展示・販売中です。ぜひご覧ください。

                https://mizoe-gallery.com/products/list?category_id=184

                2018.12.08 Saturday

                【東京店】取扱作家から毎週一作家1点ずつご紹介。 第15回は、糸園和三郎(1911年〜2001年) 

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                  JUGEMテーマ:美術鑑賞

                  みぞえ画廊のコンセプト:「流行や時代に左右されない、上質な作品、作家を提供」をもとにセレクトされた取扱作家から毎週一作家、1点ご紹介します。

                   

                  第15回は、糸園和三郎(1911年〜2001年) 

                   

                  『 牛 』 油彩F8号

                   

                  1911(明治44)年呉服商の三男として大分県中津町に生まれました。尋常小学校5年生の時に骨髄炎にかかり、手術を受けて1年遅れて小学校を卒業しましたが、病気のために進学を断念。1927(昭和2)年上京して次兄と共に大井町に住み、川端画学校に通い始めました。写実研究所で研鑽をつみ、独立美術協会展などに出品、多くの作家と交流を深めていきます。

                   

                  1931年独立展に出品、1930年代半ばからシュルレアリスムの傾向を強く受け始め、1939年福沢一郎、麻生三郎らと美術文化協会の結成に参加。

                  1945年、笹塚の家が東京大空襲にあい、郷里にあった数点をのぞいて作品を全て焼失してしました。その後、「叫ぶ子」、「鳥をとらえる女」、「鳥の壁」など、生きるものの姿を緊密な構図で描出した作品を意欲的に発表します。

                  1957年から1981年まで日大芸術学部で後進の指導にもあたり、1976年、糸園に師事した卒業生たちが「土日会」を結成して以後、糸園は同展に賛助出品しました。

                  1968年第8回現代日本美術展に、置かれたアメリカ国旗とそれを見つめる笠を被ったベトナム人を描いた「黒い水」、ベトナムの地図を配して、横たわる人を描いた「黄いろい水」を出品。「黄いろい水」はK氏賞を受賞しました。共に、象徴的に画面を横切る川が流れています。

                  1959年脳動脈瘤が見つかりますが、制作ができなくなる危険性から手術は受けず、郷里中津で一年半の療養生活を送ります。1980年代には右眼の視力をほとんど失い、晩年は左眼も衰えますが制作を続けました。

                  心に浮かんだ映像を長い時間をかけて醸成させ、キャンバスの上に写し換えるという糸園の作品は、画面から余計な対象物が排除されて深い陰影に包まれ、静謐でありながら詩情と人間の温かみを感じさせます。

                   

                  糸園和三郎 『牛』 は東京店にて展示・販売いたします。油彩・パステルなど20数点の糸園作品を所蔵しておりますが福岡店に展示中の作品もございますので、ご高覧ご希望の際はお申し付けください。

                   

                  https://mizoe-gallery.com/products/detail/1377

                  2018.12.01 Saturday

                  【東京店】取扱作家から毎週一作家1点ずつご紹介。 第14回は、野見山暁治(1920年(大正9年) 〜 )  

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                    JUGEMテーマ:美術鑑賞

                     

                    みぞえ画廊のコンセプト:「流行や時代に左右されない、上質な作品、作家を提供」をもとに

                    セレクトされた取扱作家から毎週一作家、今回は2点ご紹介します。

                     

                    14回は、野見山暁治(1920年(大正9年) 〜 )  

                     

                    「丘」1973年 油彩F30号

                    2011年ブリジストン美術館「野見山暁治展」図録解説p.10  fig.3

                     

                    「か・い・だ・ん」1990年インク、グワッシュ

                    2011年ブリジストン美術館「野見山暁治展」図録Paintings No. 92

                     

                    1920年(大正9年)福岡県穂波村(現 飯塚市)に生まれ、17歳で上京。1938年東京美術学校油画科予科、翌年本科へ入学しますがアカデミックな教育に馴染めず、在学中からフォーヴィズムに強い関心を持ちます。1943年東京美術学校を繰り上げ卒業、初年兵として満州東寧に派遣されますが、肺浸潤の再発で陸軍病院に入院。内地に送還されて1945年傷痍軍人福岡療養所で終戦を迎えました。

                     

                    戦後、不安と焦燥の中で、存在するものの形を掴み取っていきたいと試行するうち、きらめいていたフォービズムへの興味は薄らいでいきました。故郷の炭鉱へ目を向けた時、人工的に造りだされ壮大な廃棄物になろうとしている無機質なボタ山、戦前は絵にならないと思っていた炭鉱風景が、その後の野見山にとって重要なモチーフになっていきました。

                     

                    1952年末渡仏、フランス各地の美術館を回り、文化に触れるうちに、色彩感覚が変わっていきます。滞欧中の1958年、ブリジストン美術館が野見山暁治を紹介する展覧会を開催し、それが第2回安井賞を受賞するきっかけとなりました。

                     

                    滞欧時代には丘や樹木を描いて静物画を思わせるような構成でしたが、帰国後に描いた風景は、空や海などを思わせる広い空間の中を、得体のしれないものがゆっくりとねじれながら動くような、不思議な気配に満たされるようになっていきました。

                     

                    1976年糸島にアトリエを構え、繰り返し描かれたモチーフとしてアトリエの階段があります。

                    「いつものようにアトリエにやってくると、今度は、壁に沿った階段が不意にそそのかしてきた。どうしてこの、斜めに走った打ちっぱなしのジグザグに今まで気づかなかったのだろう。遥かな天から降りてきた階段が、このアトリエを通りぬけて深い海に続いているように思えてきたのだ。だからこの階段に光が飛びかかっても、波がおしよせても、一向に不思議はない」

                    野見山暁二著「階段、それから海」 2003年日経新聞社

                     

                    展示中(12月2日まで)のサ・エ・ラ

                     

                    野見山暁二『サ・エ・ラ』を東京店にて展示・販売中です。東京店・福岡店には、油彩・グワッシュ・リトグラフなど多数ございますので、ご高覧ご希望の際はお申し付けください。

                    https://mizoe-gallery.com/products/list?category_id=&name=%E9%87%8E%E8%A6%8B%E5%B1%B1%E6%9A%81%E6%B2%BB

                    2018.10.20 Saturday

                    【東京店】取扱作家から毎週一作家1点ずつご紹介。 第16回は、駒井哲郎( 1920年〜1976年 )

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                      JUGEMテーマ:美術鑑賞

                      みぞえ画廊のコンセプト:「流行や時代に左右されない、上質な作品、作家を提供」をもとに

                      セレクトされた取扱作家から毎週一作家、1点ご紹介します。

                       

                      12回は、駒井哲郎( 1920年〜1976年 ) 

                       

                       

                       

                      『鳥と果実』 1959 シュガーアクアチント、エッチング 15.0x17.4cm

                       

                      横浜美術館で10月13日から〈 駒井哲郎−煌く紙上の宇宙 〉と題した展覧会が始まりました。

                      駒井作品210点を軸に、交流のあった芸術家など関連作家の作品も80点ほど展示されています。

                      駒井はモノクロの銅版画家という印象がありますが、実は色彩豊かな木版画や、大岡信などの詩に挿画を入れた詩画集、舞台美術、実験工房との交流など幅広く制作活動をしていたことが分かります。

                       

                      駒井哲郎は現在の中央区日本橋に生まれ、慶応義塾幼稚舎から普通部に進学。普通部在学中に小さなパンフレットに載っていたルドンの腐植銅板を見たのが銅版画家になろうと思った直接的な動機で、麹町半蔵門の小さな研究所に通い、エッチングやドライポイント、素描を厳しく仕込まれました。美術学校受験準備のために乃木坂の小林万吾塾に通い、1938年(昭和13年)東京美術学校の油画科に入学。同期の野見山暁治の著書に、銅版画制作に打ち込む駒井哲郎の姿が度々記されています。後の1972年、駒井は東京芸術大学美術学部の教授に就任しました。

                       

                      芸大を3年半で繰り上げ卒業となり1944年〜1945年、2度にわたり応招。軍隊で殴打されて歯を折り、20代から義歯となりました。戦後も換気設備のない三坪のアトリエで長時間銅版画の腐蝕を続けた結果、酸の吸入に依る中毒と診断され入院したこともあり、生涯義歯不適合に苦しみ続け、やがてこれが舌癌をもたらすことになりました。

                       

                      1954年4月パリに渡って3日目、長谷川潔と会います。生涯にわたって心から畏敬の念を持ちましたが、圧倒的な版画技法の差に挫折感を味わいます。1955年11月パリを出発して帰国。翌1956年には「自信喪失の記」を書きました。

                       

                      体調不良ではありましたが、美術雑誌にも取り上げられ、駒井は戦後の画壇に多くの同世代の画家たちに先駆けて颯爽と登場しました。材料入手が困難な時代、磨いた銅板を刻み、腐食させ、プレスするという作業に独力で取り込み、未開の芸術に挑んだパイオニアでした。

                       

                      1960年8月大岡信は最初の美術評論で「駒井氏の作品は58年から新しい発展の世界に入ったように思え… 最近作の鳥や果実のテーマに到達した。駒井氏が楕円形フォルムに強い関心を示しているのは興味がある。鳥にしても果実にしても、どこか誕生と死を連想させるモチーフだが、駒井氏の楕円は、生命と死の宿る子宮的世界の断面図のような感じをもっていて、とくに最近の傑作「蝕果実」などは、いつまでも見飽きないふしぎな循環性と集中性をひめている。」と語っています。

                       

                      今日ご紹介する「鳥と果実」は横浜美術館・駒井哲郎展の〈第5章 詩とイメージの競演〉に展示されています。互いに内包しあい、生命の喜びを感じさせる心温まる作品です。

                      みぞえ画廊東京店にてぜひご覧いただきたいと思います。

                      https://mizoe-gallery.com/products/list?category_id=316

                       

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