2019.02.16 Saturday

【東京店】取扱作家から毎週一作家1点ずつご紹介。第18回は、香月泰男(1911年10月25日 - 1974年3月8日)

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    JUGEMテーマ:美術鑑賞

     みぞえ画廊のコンセプト:「流行や時代に左右されない、上質な作品、作家を提供」をもとに取扱作家から毎週一作家、1点ご紹介します。

    第18回は、香月泰男19111025 - 19743月8日)

     

     

     『シベリア・シリーズ 』 4枚組リトグラフ 1969年 Ed.50

     

    東京美術学校を卒業した香月泰男は、下関高等女学校で美術を教えていたところ、1943年召集され満州に出征。2年後大陸で終戦を迎えますが、シベリアに抑留されました。冬は−40℃にもなるシベリア・クラスノヤルスク地区セーヤ収容所でおよそ2年間、森林伐採などの過酷な強制労働に従事して、1947年5月帰還します。

     

    帰還後早々に、後に『シベリア・シリーズ』と呼ばれる油彩画を描き、翌年も描きますが、その後シリーズは8年間中断します。1956年秋から半年間ヨーロッパ旅行に出発し、フランス、スペイン、イタリア等を巡る中で、中世の彫刻や絵画、またダ・ヴィンチなどによるルネサンス期のモノクロに近い絵画に出会います。中世の彫刻にある陰影の強い顔は、『シベリア・シリーズ』独特の「顔」の表現を生み出すきっかけになりました。収穫の多かったこのヨーロッパ旅行後、香月は本格的に『シベリア・シリーズ』に取り組みます。

    50年代後半になると、香月のパレットから徐々に明るい色が消えていき、黒や灰色、黄土色が画面を支配するようになっていきます。50年代末には、後年の香月作品のトレードマークといえる、黒と黄土色を基調とした作風が確立され、1959年、堰を切ったかのように、『シベリア・シリーズ』3作品が一挙に発表されました。

     

    「シベリアのことを思い出したくなどない。絵にしようと思って絵にするのではなく、自然に浮かびあがってくる。描くたびまだまだシベリアを語りつくしていないと感じる。シベリアで真に絵を描くことを学んだ。モチーフが無限に自分のなかから湧いてくる」

    抑留者の数だけ違うシベリアがあります。『シベリア・シリーズ』が今でも人々の心を惹きつけるのは、政治的な主義主張を下敷きにしたものではなく、あくまでも一人の画家の個人的な想いを描いたものであり、それが普遍性を持つもの、家族への愛情、運命に翻弄されることに対する怒り、悲しみ、諦め、そして希望を表現しているからではないでしょうか。

     

    油彩シベリア・シリーズは、出征、終戦、シベリアへの輸送、抑留生活、復員と、香月が実際に体験した順番の通りには描かれていません。シリーズとは呼ばれるものの、57点の油彩画は初めから体系的に描かれたのではなく、シベリアでのランダムな記憶が結実した作品群といえます。

     

    みぞえ画廊には1969年に制作された『シベリア・シリーズ』雪・窓」「運ぶ人」「雪」「避難民」と題した4枚組リトグラフ(サイン入り、限定50部)がございます。是非ご高覧賜りたくご案内申し上げます。

    https://mizoe-gallery.com/products/list?category_id=250 

    2019.01.26 Saturday

    【東京店】取扱作家から毎週一作家1点ずつご紹介。第17回は、櫻井孝美(さくらいたかよし 1944年〜)

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      JUGEMテーマ:美術鑑賞

       

      みぞえ画廊のコンセプト:「流行や時代に左右されない、上質な作品、作家を提供」をもとにセレクトされた取扱作家から毎週一作家、1点ご紹介します。今回は今まさに活躍中の現代作家を取り上げます。

       

      第17回は、櫻井孝美 (さくらいたかよし 1944年〜  )

       

                        富嶽・寧 』油彩3

       

      2015年ノーベル生理学・医学賞を受賞された大村智先生は、櫻井孝美作品集「煌く日々」(生活の友社刊)の冒頭にこんな言葉を寄せておられます。

      「世界中を見渡しても見られないであろう、浴室で楽しむ家族をモチーフにした作品群があった。こんな絵を描く作家に出会ったことはなかった… 40歳代前半の櫻井氏は第31回安井賞、第22回昭和会賞など、立て続けに大きな賞を受賞していた時期だったが、山梨県下でこのような作家が活動していたことを知らずにいた。美術に関心のある私にとって、甚だ不明の極みである。それだけに第一印象は強烈であった。独創性と色彩感覚、それに表現力を極めた作家の作品は、多くの者の関心を呼び起こし、話題が多い」

       

      『家族』、『浴室』以外に、『富士山』を描いた作品群があります。

      23(1967)の春、富士吉田に移り住みました。「この山の完璧な容姿に絶句し、私はすぐにこの感動をキャンバスに向け挑戦した。しかし、いとも簡単に突き放され、跳ね飛ばされた」以来、四季折々の富士山を眺め、富士を描きたいと挑戦し続けました。「いちいち説明できるような深い意味などない。何かの喜びや憧れがひたすら後押ししてくれる」と語る櫻井孝美の作品は、弾けるようなエネルギーに溢れ、穏やかな笑顔を湛えた姿のどこからそんなバイタリティが沸いてくるのかと思わされます。

       

      1976年、日大芸術学部美術学科卒業生により「土日会」が発足しました。土に根差して日に向かって伸びていこうという意味で糸園和三郎が名付けた「土日会」の、櫻井孝美は代表を務めています。

      北里大学看護専門学校内大村記念館エントランスホールの真正面には500号の大作『マンハッタン陽々』が展示され、来館者の心を一気に惹きつけます。

       

      底抜けに明るい色彩、破天荒な空間、解放感、太古のエネルギーを持った『富士山』をぜひ感じていただきたいと思います。 

      櫻井孝美の油彩『富嶽・寧は田園調布ギャラリーにてご覧いただけます。

      https://mizoe-gallery.com/products/list?category_id=&name=%E6%AB%BB%E4%BA%95%E5%AD%9D%E7%BE%8E

      2018.12.23 Sunday

      【東京店】取扱作家から毎週一作家1点ずつご紹介。 第16回は、田部光子(1933年〜  )

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        JUGEMテーマ:美術鑑賞

        みぞえ画廊のコンセプト:「流行や時代に左右されない、上質な作品、作家を提供」をもとにセレクトされた取扱作家から毎週一作家、1点ご紹介します。今回は今まさに活躍中の現代作家を取り上げます。

        第16回は、田部光子(1933年〜  )

         

         

        I Love The Earth 供別擇北彩、アクリル、純金箔、石膏、コラージュ)

         

        『I Love The Earth 供戮蓮⊇禧眷鵑両紊法地球を取り巻く惑星、植物、薔薇、天使など図版を切り取ってコラージュ、四隅に金箔の林檎。手話で〈永遠の愛〉を表す石膏の手が取り付けられた作品です。

         

        庭で育ったリンゴを石膏で型取りオブジェにして、金箔を貼りつめた箱の中央に金箔の林檎を置いて、An apple a day keeps the doctor away(1日1個のリンゴで医者いらず)と記した「健康作品」など、長く続く「リンゴ」シリーズがあります。田部光子は「わたしにとって林檎は一つの宇宙である」と語っています。

         

        2001年9月ニューヨークで個展が開かれるはずでした。画廊に作品が到着したのは、9.11のテロが起こる前日のこと。渡米することは叶わず、作家不在のまま個展は開催されました。同時多発テロの直後、戦争は問題を解決する答えではない、と芸術の力で訴える作品「テロに勝つ」と題した屏風を模した4枚のキャンバスを発表。そこにも「いつも一緒にいたい」「愛」を手話で表現した石膏オブジェが取り付けられました。

         

        芸術の力でしか救えないことがあると信じ、「芸術にはじかに感性に訴えることができる」と語り、

        用具や材料に対する既成概念に捉われずに多彩な表現手段を用いて制作しています。

         

        田部は1933年 台湾に生まれました。

        1950年代、前衛芸術運動が巻き起こり、関西の具体美術協会などと並び、運動を牽引したのが福岡を拠点とする九州派でした。田部と九州派との付き合いは1957年頃からで、近年、旗揚げから解散まで在籍していた田部光子の評価が進んでいます。「芸術家は進化し続けなければならない。進化するには挑戦し続けなければならない」戦後九州の女性芸術家を牽引し、現在も現代美術の第一線で旺盛な活動を続け、九州女流画家展主宰。蔵書が数千冊ある読書家でもあります。

         

        田部光子『I Love The Earth 供戮賄豕店にて展示・販売中です。ぜひご覧ください。

        https://mizoe-gallery.com/products/list?category_id=184

        2018.12.08 Saturday

        【東京店】取扱作家から毎週一作家1点ずつご紹介。 第15回は、糸園和三郎(1911年〜2001年) 

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          JUGEMテーマ:美術鑑賞

          みぞえ画廊のコンセプト:「流行や時代に左右されない、上質な作品、作家を提供」をもとにセレクトされた取扱作家から毎週一作家、1点ご紹介します。

           

          第15回は、糸園和三郎(1911年〜2001年) 

           

          『 牛 』 油彩F8号

           

          1911(明治44)年呉服商の三男として大分県中津町に生まれました。尋常小学校5年生の時に骨髄炎にかかり、手術を受けて1年遅れて小学校を卒業しましたが、病気のために進学を断念。1927(昭和2)年上京して次兄と共に大井町に住み、川端画学校に通い始めました。写実研究所で研鑽をつみ、独立美術協会展などに出品、多くの作家と交流を深めていきます。

           

          1931年独立展に出品、1930年代半ばからシュルレアリスムの傾向を強く受け始め、1939年福沢一郎、麻生三郎らと美術文化協会の結成に参加。

          1945年、笹塚の家が東京大空襲にあい、郷里にあった数点をのぞいて作品を全て焼失してしました。その後、「叫ぶ子」、「鳥をとらえる女」、「鳥の壁」など、生きるものの姿を緊密な構図で描出した作品を意欲的に発表します。

          1957年から1981年まで日大芸術学部で後進の指導にもあたり、1976年、糸園に師事した卒業生たちが「土日会」を結成して以後、糸園は同展に賛助出品しました。

          1968年第8回現代日本美術展に、置かれたアメリカ国旗とそれを見つめる笠を被ったベトナム人を描いた「黒い水」、ベトナムの地図を配して、横たわる人を描いた「黄いろい水」を出品。「黄いろい水」はK氏賞を受賞しました。共に、象徴的に画面を横切る川が流れています。

          1959年脳動脈瘤が見つかりますが、制作ができなくなる危険性から手術は受けず、郷里中津で一年半の療養生活を送ります。1980年代には右眼の視力をほとんど失い、晩年は左眼も衰えますが制作を続けました。

          心に浮かんだ映像を長い時間をかけて醸成させ、キャンバスの上に写し換えるという糸園の作品は、画面から余計な対象物が排除されて深い陰影に包まれ、静謐でありながら詩情と人間の温かみを感じさせます。

           

          糸園和三郎 『牛』 は東京店にて展示・販売いたします。油彩・パステルなど20数点の糸園作品を所蔵しておりますが福岡店に展示中の作品もございますので、ご高覧ご希望の際はお申し付けください。

           

          https://mizoe-gallery.com/products/detail/1377

          2018.12.01 Saturday

          【東京店】取扱作家から毎週一作家1点ずつご紹介。 第14回は、野見山暁治(1920年(大正9年) 〜 )  

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            JUGEMテーマ:美術鑑賞

             

            みぞえ画廊のコンセプト:「流行や時代に左右されない、上質な作品、作家を提供」をもとに

            セレクトされた取扱作家から毎週一作家、今回は2点ご紹介します。

             

            14回は、野見山暁治(1920年(大正9年) 〜 )  

             

            「丘」1973年 油彩F30号

            2011年ブリジストン美術館「野見山暁治展」図録解説p.10  fig.3

             

            「か・い・だ・ん」1990年インク、グワッシュ

            2011年ブリジストン美術館「野見山暁治展」図録Paintings No. 92

             

            1920年(大正9年)福岡県穂波村(現 飯塚市)に生まれ、17歳で上京。1938年東京美術学校油画科予科、翌年本科へ入学しますがアカデミックな教育に馴染めず、在学中からフォーヴィズムに強い関心を持ちます。1943年東京美術学校を繰り上げ卒業、初年兵として満州東寧に派遣されますが、肺浸潤の再発で陸軍病院に入院。内地に送還されて1945年傷痍軍人福岡療養所で終戦を迎えました。

             

            戦後、不安と焦燥の中で、存在するものの形を掴み取っていきたいと試行するうち、きらめいていたフォービズムへの興味は薄らいでいきました。故郷の炭鉱へ目を向けた時、人工的に造りだされ壮大な廃棄物になろうとしている無機質なボタ山、戦前は絵にならないと思っていた炭鉱風景が、その後の野見山にとって重要なモチーフになっていきました。

             

            1952年末渡仏、フランス各地の美術館を回り、文化に触れるうちに、色彩感覚が変わっていきます。滞欧中の1958年、ブリジストン美術館が野見山暁治を紹介する展覧会を開催し、それが第2回安井賞を受賞するきっかけとなりました。

             

            滞欧時代には丘や樹木を描いて静物画を思わせるような構成でしたが、帰国後に描いた風景は、空や海などを思わせる広い空間の中を、得体のしれないものがゆっくりとねじれながら動くような、不思議な気配に満たされるようになっていきました。

             

            1976年糸島にアトリエを構え、繰り返し描かれたモチーフとしてアトリエの階段があります。

            「いつものようにアトリエにやってくると、今度は、壁に沿った階段が不意にそそのかしてきた。どうしてこの、斜めに走った打ちっぱなしのジグザグに今まで気づかなかったのだろう。遥かな天から降りてきた階段が、このアトリエを通りぬけて深い海に続いているように思えてきたのだ。だからこの階段に光が飛びかかっても、波がおしよせても、一向に不思議はない」

            野見山暁二著「階段、それから海」 2003年日経新聞社

             

            展示中(12月2日まで)のサ・エ・ラ

             

            野見山暁二『サ・エ・ラ』を東京店にて展示・販売中です。東京店・福岡店には、油彩・グワッシュ・リトグラフなど多数ございますので、ご高覧ご希望の際はお申し付けください。

            https://mizoe-gallery.com/products/list?category_id=&name=%E9%87%8E%E8%A6%8B%E5%B1%B1%E6%9A%81%E6%B2%BB

            2018.10.20 Saturday

            【東京店】取扱作家から毎週一作家1点ずつご紹介。 第16回は、駒井哲郎( 1920年〜1976年 )

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              JUGEMテーマ:美術鑑賞

              みぞえ画廊のコンセプト:「流行や時代に左右されない、上質な作品、作家を提供」をもとに

              セレクトされた取扱作家から毎週一作家、1点ご紹介します。

               

              12回は、駒井哲郎( 1920年〜1976年 ) 

               

               

               

              『鳥と果実』 1959 シュガーアクアチント、エッチング 15.0x17.4cm

               

              横浜美術館で10月13日から〈 駒井哲郎−煌く紙上の宇宙 〉と題した展覧会が始まりました。

              駒井作品210点を軸に、交流のあった芸術家など関連作家の作品も80点ほど展示されています。

              駒井はモノクロの銅版画家という印象がありますが、実は色彩豊かな木版画や、大岡信などの詩に挿画を入れた詩画集、舞台美術、実験工房との交流など幅広く制作活動をしていたことが分かります。

               

              駒井哲郎は現在の中央区日本橋に生まれ、慶応義塾幼稚舎から普通部に進学。普通部在学中に小さなパンフレットに載っていたルドンの腐植銅板を見たのが銅版画家になろうと思った直接的な動機で、麹町半蔵門の小さな研究所に通い、エッチングやドライポイント、素描を厳しく仕込まれました。美術学校受験準備のために乃木坂の小林万吾塾に通い、1938年(昭和13年)東京美術学校の油画科に入学。同期の野見山暁治の著書に、銅版画制作に打ち込む駒井哲郎の姿が度々記されています。後の1972年、駒井は東京芸術大学美術学部の教授に就任しました。

               

              芸大を3年半で繰り上げ卒業となり1944年〜1945年、2度にわたり応招。軍隊で殴打されて歯を折り、20代から義歯となりました。戦後も換気設備のない三坪のアトリエで長時間銅版画の腐蝕を続けた結果、酸の吸入に依る中毒と診断され入院したこともあり、生涯義歯不適合に苦しみ続け、やがてこれが舌癌をもたらすことになりました。

               

              1954年4月パリに渡って3日目、長谷川潔と会います。生涯にわたって心から畏敬の念を持ちましたが、圧倒的な版画技法の差に挫折感を味わいます。1955年11月パリを出発して帰国。翌1956年には「自信喪失の記」を書きました。

               

              体調不良ではありましたが、美術雑誌にも取り上げられ、駒井は戦後の画壇に多くの同世代の画家たちに先駆けて颯爽と登場しました。材料入手が困難な時代、磨いた銅板を刻み、腐食させ、プレスするという作業に独力で取り込み、未開の芸術に挑んだパイオニアでした。

               

              1960年8月大岡信は最初の美術評論で「駒井氏の作品は58年から新しい発展の世界に入ったように思え… 最近作の鳥や果実のテーマに到達した。駒井氏が楕円形フォルムに強い関心を示しているのは興味がある。鳥にしても果実にしても、どこか誕生と死を連想させるモチーフだが、駒井氏の楕円は、生命と死の宿る子宮的世界の断面図のような感じをもっていて、とくに最近の傑作「蝕果実」などは、いつまでも見飽きないふしぎな循環性と集中性をひめている。」と語っています。

               

              今日ご紹介する「鳥と果実」は横浜美術館・駒井哲郎展の〈第5章 詩とイメージの競演〉に展示されています。互いに内包しあい、生命の喜びを感じさせる心温まる作品です。

              みぞえ画廊東京店にてぜひご覧いただきたいと思います。

              https://mizoe-gallery.com/products/list?category_id=316

               

              2018.09.07 Friday

              【東京店】取扱作家から毎週一作家1点ずつご紹介。 第10回は、牛島 憲之(1900年〜1997年)

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                JUGEMテーマ:美術鑑賞

                 

                みぞえ画廊のコンセプト:「流行や時代に左右されない、上質な作品、作家を提供」をもとに

                セレクトされた取扱作家から毎週一作家、1点ご紹介します。

                 

                第10回は、牛島 憲之(1900年〜1997年) 

                 

                『朝 凪(天草)』 油彩M6号

                 

                熊本の裕福な地主の息子に生まれ、昭和29年東京芸術大学講師になるまで、勤め人になったことがありませんでした。昭和40年に芸大教授に就任。日展に入選後も絵を売らず、華やかな場に参列することも少なく、「画家とは名誉ではなく描き続けることである。絵の具とカンバスと、雨風しのげて目と手があれば、絵は描ける」という信念を貫きました。

                「私は水のある風景を眺めるのが好きである。それも激流ではなく、ゆるやかな流れや沼などを見ると、気分が落ちつくようである」熊本市郊外の家のすぐ裏に、ゆったりとした流れの坪井川があり、上京してからも「一銭蒸気に乗って隅田川をさかのぼり… 今と違って水はきれいだし、沿岸の風物も趣があって、実にいい気分のものだった」(牛島憲之素描集 朝日新聞社)と語っています。

                 

                忠実に自然を写すということに終始しました。歩き回って絵のモチーフを見つけると、とことん風景を見つめ続けて「紙に穴があくほど、すっかり腹に入るまで描いた」スケッチを持ち帰ります。徹底した写生に基づいて、必要なものだけを残してあとは捨てる、アトリエでの試行錯誤の末に油彩画が生み出されました。

                 

                静謐で穏やかな色彩、詩情、軽やかさと優美さ、非日常的ではあるがリアルな存在感… 

                牛島憲之の作品は様々な言葉で語られます。

                 

                故郷熊本の美しい風景を描いた牛島憲之の『朝凪(天草)』は、東京店にて展示・販売中です。

                ぜひ、ご覧ください。

                https://mizoe-gallery.com/products/detail/797

                 

                府中によくスケッチに出かけた縁から、遺族は平成10年、府中市美術館におよそ100点の牛島憲之作品を寄贈、牛島憲之記念館が創設されました。

                 

                2018.08.24 Friday

                【東京店】取扱作家から毎週一作家1点ずつご紹介。 第8回は、望月 菊磨(1945年〜  )

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                  みぞえ画廊のコンセプト:「流行や時代に左右されない、上質な作品、作家を提供」をもとにセレクトされた取扱作家から毎週一作家、1点ご紹介します。

                  今回も今まさに活躍中の現代作家を取り上げます。

                   

                  第8回は、望月 菊磨(1945年〜  ) 

                  『球形の地平シリーズ‘03-検擔随、ブロンズ、木 30x30x56cm

                   

                  「福岡から上京して、武蔵野美術大学の新設2年目の建設学科を受験したら合格。デザイナーから建築家になろうと思いました。でも、せっかく勉強したのだから、芸大の最も倍率の高い工芸デザイン科を受験したら、受かってしまいました」というのが芸術の道を志した望月菊磨のスタートでした。固い金属を熱で柔らかくして造形する、面白そうだと鍛金科に進みます。

                   

                  『破壊シリーズ』では、色々な金属素材を破壊すること、叩く、穴を開ける、削る、ねじ切るなどの試行錯誤を重ね、真鍮の板を引っ張ってみたところ最後に、美しさを伴った破壊のかたち、究極のイメージが形として見えてきます。その後、室内発表作品から、野外での大作へと創作活動は広がっていきました。

                   

                  『破壊シリーズ』は削ぎ落とす作業でしたが、逆に数種の素材を組み合わせる、接合するという複合的なイメージで出来上がっていったのが『喚起装置シリーズ』で、これは今も続いています。

                  さらに『球体の地平シリーズ』、『Metal Drawingシリーズ』、自然と一体になる『共生シリーズ』、『時の庭シリーズ』などが続きます。

                   

                  「50年作家として生きてきて、今あらためて何のために生きているのか、何を表現したいのか、自己否定せず、これからも変化を恐れず、自分で変革していくしかないと思う」と語り、望月菊磨は意欲的に創作を続けています。

                   

                  作品は、愛知県芸術文化センター、彩の国さいたま芸術劇場、いわき市立美術館、地下鉄福岡空港駅、博多の森陸上競技場、霞が関ビル、東芝本社ビル、真言宗豊山派安養院などに設置されています。

                   

                  望月菊磨『球形の地平シリーズ‘03-は東京店にて展示・販売中です。ぜひ、ご覧ください。

                  https://mizoe-gallery.com/products/list?category_id=212&name=%E6%9C%9B%E6%9C%88%E8%8F%8A%E9%BA%BF

                  JUGEMテーマ:美術鑑賞

                  2018.08.17 Friday

                  【東京店】取扱作家から毎週一作家1点ずつご紹介。 第7回は、永 武(1947年〜  )

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                    JUGEMテーマ:美術鑑賞

                     

                    みぞえ画廊のコンセプト:「流行や時代に左右されない、上質な作品、作家を提供」をもとに

                    セレクトされた取扱作家から毎週一作家、1点ご紹介します。

                    今回も今まさに活躍中の現代作家を取り上げます。

                     

                    第7回は、永 武(えいたけし 1947年〜  ) 

                     

                    『どきどきしたいな』 木に油彩・テンペラ 54.5x61.0cm

                     

                    デザイナーとして広告代理店に勤務していた33歳の時、自身の内面と向き合う芸術の世界へと方向転換し2009年には福岡県糸島市の、鍛冶屋跡を改装したアトリエに活動拠点を移します。

                     

                    糸島という土地は、朝鮮半島、中国大陸と近く、古来より海のむこうからやって来た人々と交流がある場所で、訪れ、出会い、帰っていく、今もアーティストがやってきて過去から未来へとつながっている地域だと思わせます。

                    〈糸島国際芸術祭 糸島芸農〉は糸島内外で活動する多様な専門家が集まり、互いに刺激し合いながら芸術祭を開催し、芸術と地域社会の関係性を発信しています。永武は毎年この芸術祭に参加していますが、今年4月の糸島国際芸術祭では、前原商店街に残る築110年の町屋で「かた隅の肖像 永武作品展」が開催されました)

                     

                    永武は人物や冬瓜をモチーフに長年描き続けており、この『ドキドキしたいな』は、持ち重りのする厚み3cmほどの木材に、緻密に産毛までみえる冬瓜が描かれています。古典的な技法である顔料と卵を混ぜて描くテンペラ画を中心に制作していますが、モデルを使わずに描いた人物画は、詩情あふれる愁いをたたえた人物を独特の感性で描いています。

                     

                    「アートは自分を表現するもの。自然物を使うこと」が創作の原点にあり、廃材や海辺の流木、道でふと目にとまった捨てられているモノがアトリエに置かれています。「素材に作らされている」という永武の手によって、命が吹き込まれオブジェになって現れます。ピンクのフジツボを纏った貴婦人、松笠を被ったゴスペラー、魚網を手に遠くを見つめる人、『石になったわ・た・し』と題した岩に覆われた鳥、『月夜のハンター』と題した精悍な動物、空飛ぶサーファー。存在感のある、それはそれは楽しい永武の世界です。

                     

                    永武『どきどきしたいな』は東京店にて展示・販売中です。ぜひ、ご覧ください。

                    https://mizoe-gallery.com/products/list?category_id=84

                    2018.08.10 Friday

                    【東京店】取扱作家から毎週一作家1点ずつご紹介。 第6回は、小松孝英(1979年〜  )

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                      JUGEMテーマ:美術鑑賞

                       

                      みぞえ画廊のコンセプト:「流行や時代に左右されない、上質な作品、作家を提供」をもとに

                      セレクトされた取扱作家から毎週一作家、1点ご紹介します。

                      今回は今まさに活躍中の現代作家を取り上げます。

                       

                      第6回は、小松孝英(1979年〜  ) 

                       

                      小松孝英は、日本在来種と外来種の生き物、それらの生態系の変化や生物の多様性をテーマに描いています。国内外の個展で作品を発表、世界8ヶ国13地域のアートフェアに出品しています

                       

                      『雨あがり』 油彩F6号

                       

                      代表的なモチーフは蝶で、美術家としてスタートした時から描き続けている題材です。こどもの頃、虫取り網を持って走り回った野山や川、どこにでもいたゲンゴロウ、カミキリムシ、クワガタを、このたった20年ほどで見かけなくなりました。護岸工事や農薬による環境破壊、里山の減少、明治以降日本に入ってきた生命力の強い外来種の登場などで、身近な生態系が劇的に変化してしまったのです。

                       

                      小松孝英は琳派の流れをくむ技法で、琳派の時代には決して描けなかった題材に取り組んでいます。「今の時代をとらえ、今の時代を残していくこと。そして守りたくても守れない自然に対するジレンマなど、環境問題に代表される時代の矛盾を作品で訴えていくことがアーティストの仕事だと思っています」と小松孝英は語っています。

                       

                      「外来種群蝶図」100号が、2010年の国連COP10「生物多様性条約第10回締約国会議」に特別展示され、国連生物多様性条約記念ミュージアムにコレクションされました。

                      LEXUS NEW 匠PROJECTは、伝統技術に自由な発想を掛け合わせ、前例のないモノづくりに挑む匠を全国から選出するプロジェクトです。美しく羽ばたく蝶と生態系の変化をデザインしたアロハポロシャツ「ミヤザ着」で小松は2016年「匠」52人のひとりに選ばれました。

                      シャツの表には蝶をあしらい、裏には稲を食害する外来種「ジャンボタニシ」と激減した「タガメ」をデザインし、宮崎の今を考えさせるきっかけをつくりました。

                       

                      小松孝英『雨あがり』は東京店にて展示・販売中です。ぜひ、ご覧ください。

                      その他、在庫作品はこちらをご覧ください。

                      https://mizoe-gallery.com/products/list?category_id=&name=%E5%B0%8F%E6%9D%BE%E5%AD%9D%E8%8B%B1

                       

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