<< アフターセールが始まりました!「博多画傳三傑展 ー仙僉Ψ明隋α瓜囲此 博多町人文化の華」 | main | 「リニューアルオープン記念展 ピカソ、その芸術と素顔」開催中です! >>
2017.03.15 Wednesday

没後25年平野遼展 2017年3月4日より開催中!

0

     

    平野遼(1927〜1992)は、北九州を代表する画家です。

    鋭い筆致で人物を捉えた素描や、絵の具をムラにさせたような独特の絵肌で完成させた重厚な油彩画で知られています。

     

    生れは大分市(旧佐賀関町)ですが、生後間もなく北九州市八幡東区へ移り住みました。

    ほぼ独学で絵の勉強を始めたのが小学校2年のころ。当時を思い返し「惨憺たるもの」と語ったように、幼くして母を亡くし、父は仕事で夜半まで帰らず荒み、孤独な少年時代の絵との出会は、大変重要なものでした。

     

    終戦は18歳の頃。進駐軍のキャンプや芦屋の航空隊の催しのポスターを描き、纏まった金ができると東京へ出て、を繰り返しました。当時、東京と小倉はかなりの距離感があり、汽車で30時間かかりました。東京の美術館で展示されていた、松本俊介、靉光らの作品に感銘を受け、鮮烈に脳裏に焼きついたことも語られています。

    平野遼といえば、蝋画による抽象画も有名ですが、この技法は、この頃より始まっています。電気代も払えず蝋燭の明かりで絵を描いていた時、偶然発見したといいます。蝋画は入選など評価されていましたが、やはり食べていけないと、25歳のころ、九州に戻りました。そして、一番の理解者となる清子氏と結婚。支えられながらも、進駐軍の肖像画を描く仕事をしつつ作品を発表し続け、徐々に評価を高めていきました。

     

     

    47歳の時から、海外へ、取材旅行のために度々出かけました。ポルトガル、スペイン、ギリシャなどは、人間の正の状態がそっくりある、昔の日本を見せてくれるような魅力があると、人々の何気ない日常の様子や、崩れ落ちそうな家をスケッチしました。生前のインタビューでは、「流れていく時間に興味がある」「自分が書きたいものは律動する時間である」と語っています。

     

     

    ちょっと怖いけれど引き込まれるようだ と、お客様からご感想を頂くことがあります。「東洋的空間をだしたいと、いつも思っている…(省略)描かれたものが、画面から飛び出してこず、画面の奥に引っ込んでなくてはいけない」「見ている人が画面の中に足を踏み込んでいけるなあという、そんな空間が作りたい」と心がけていたと語られており、それは、具象、抽象の両方の表現を採りながら生み出される、深い透明度の空間によって表現されています。

     

    激動の時代を生き、人間の闇と光を描き続けた画家のまなざしは、いつの時代も見る者の心に共鳴します。3月20日までとなっております。ぜひお出かけください。

    コメント
    コメントする








     
    この記事のトラックバックURL
    トラックバック
    Calendar
        123
    45678910
    11121314151617
    18192021222324
    25262728293031
    << August 2019 >>
    Selected Entries
    Categories
    Archives
    Recent Comment
    Links
    Profile
    Search this site.
    Others
    Mobile
    qrcode
    Powered by
    30days Album
    無料ブログ作成サービス JUGEM