<< 【東京店】日本近代名画展 時代を超えた名品の数々をご紹介(その3) 5月19日(日)まで無休で開催中。 | main | 【福岡店】 西洋名画コレクション展は会期を5月15日(水)まで延長いたしました >>
2019.05.07 Tuesday

【東京店】取扱作家から毎週一作家1点ずつご紹介。 第20回は、梅原龍三郎(1888年〜1986年)

0

    JUGEMテーマ:美術鑑賞

    【東京店】取扱作家から毎週一作家1点ずつご紹介。 20回は、梅原龍三郎1888年〜1986年)

    みぞえ画廊のコンセプト:「流行や時代に左右されない、上質な作品、作家を提供」をもとに取扱作家から毎週一作家、1点ご紹介します。

     

      『裸婦図』 1977年 油彩20.4x32.2cm

     

    梅原龍三郎が生まれたのは、日本における西洋風美術いわゆる洋画が手探りの段階からようやく本格的な段階に入った時期です。尋常小学校に入学した頃、黒田清輝や久米桂一郎が天真道場を開き、高等小学校に入学した頃、岡倉天心が日本美術院を創設。中学に入学した頃はパリ万博が開かれて黒田や久米が渡欧。こうした時代の流れの中で、梅原は洋画家としての一歩を踏み出しました。病気で中学校を中途退学した15才の梅原は伊藤快彦に洋画の手ほどきを受け始めます。

    梅原家は京都で30人もの使用人を抱えた悉皆(しっかい)屋(染め物などの注文を取り、専門店に取り次ぐ)日々白生地の図案、染色、刺繍などの職人の仕事や、光琳、宗達といった知識を幼いころから耳にし、日常生活の中で、日本の伝統的で洗練された美的感覚を身につけていったことがうかがわれます。

     

    満20歳を迎えた梅原は、同門でライバルでもあった安井曽太郎が渡仏したのを追うように1908年(明治41年)フランスへ旅立ちます。第一次滞欧期の最も重要な出来事は、ルノワールとポンペイ壁画との出会いです。1908年パリに着いた翌日、初めてルノワールの絵を観て、「ここに来た価値があった!」と梅原は心の中で叫びます。半年後、ルノワールを訪ねると、「自然をよく観なさい。君は色彩を持つ。それが備わっているのがいい」と褒められました。

    第二次滞欧期、梅原に最も影響を与えたのはギメ美術館で東洋美術に接したことと、ナポリを訪れたことでした。東洋美術への関心はその後、菱川師宣などが浮世絵を参照した裸婦像の制作へと発展していきます。

    1935年(昭和10年)頃には、モデルのフォルムと量感を捉えながら、奔放に色彩を駆使し、生命感溢れる梅原様式とよばれる独特の裸婦像を確立しました。

     

    パリ、イタリア、ニューヨークなどへ度々旅行をし、1976年88歳の時、パリでモデルを雇って制作し、翌1977年にも渡仏します。本作「裸婦像」はその年に描かれました。体力の衰えはありましたが、晩年はアトリエで制作可能な静物画や裸婦、新しいモチーフとして身近な人々の肖像画を描きました。

    長命を保ち、一貫して優れた画業を創造し続け、日本近代洋画界に大きな足跡を残した梅原は、「葬式無用 弔問供物 固辞する事 梅原龍三郎 生者は死者の為に煩わさるべからず」という遺言状を残し、多磨霊園で永遠の眠りについています。

    東京展にて現在開催中の《日本近代名画展》にて梅原龍三郎『裸婦図』を是非ご覧いただきたく、ご案内申し上げます。https://mizoe-gallery.com/products/detail/862

    コメント
    コメントする








     
    この記事のトラックバックURL
    トラックバック
    Calendar
     123456
    78910111213
    14151617181920
    21222324252627
    28293031   
    << July 2019 >>
    Selected Entries
    Categories
    Archives
    Recent Comment
    Links
    Profile
    Search this site.
    Others
    Mobile
    qrcode
    Powered by
    30days Album
    無料ブログ作成サービス JUGEM