2019.09.29 Sunday

神戸アートマルシェ2019に出展しました!

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    本日、9月30日19時迄、神戸アートマルシェ2019に出展中です。

    本フェアは、毎年新たな試みをされている印象ですが、今年は「全室個展」を打ち出しています。

    ホテルフェアとしては珍しいことですが、ご来場された方々の中には、「個展だと落ち着いて見やすい」とのお声も。

     

     

    みぞえ画廊は1303号室にて、弓手研平 個展にて、油彩とドローイングを展示しております。

     

     

    油彩は、弓手先生の作品の代表的なモチーフとなりつつある月や林檎の木、また蓮の花と仏の陰影などを描いた作品など。

    必ず土から描くというその制作方法は、「あらゆるものは、すべて土の上に在る」という考えに基づくものです。

    油絵具を何度も塗り重ねながら、乾いては削り、磨き、また塗り重ね、1年がかりで描き上げられるその油絵具の層は60層にも及びます。

     

     

    ドローイングは、定期的な取材旅行でのスケッチなどの風景画が多く、取材の現場で必ず描き上げます。

    大体3~4時間の制作時間で、光が変わらないうちに全て描きこむため、油絵具以外のあらゆる画材と技術が駆使されています。

    今回の取材先はポルトガル。ポルトガルから日本の鹿児島にキリスト教が伝えられたことは有名ですが、当時の様子を記録することを目的に絵描きも派遣されていたため、西洋の画材もいち早く同地に伝えられました。

     

     

    弓手研平先生は、アートフェアアジア福岡、神戸アートマルシェ、アート台北と、フェア連続出品となりましたが、全て新作を出品していただいております。チーフプロデューサーを務める映画「かぞくわり」も全国順次ロードショーが決まりトークに駆け付けたりと精力的な活動には驚くばかりです。

    毎年心配される天候も上々で、お出かけ日和です。ぜひ足をお運びください。

     

    スタッフ

    2019.09.07 Saturday

    東京店 特別展示《 鴨居 玲 》

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      JUGEMテーマ:美術鑑賞

       

      日本を代表する伝説の洋画家、鴨居玲。

      9月7日は彼の命日を迎えます。

      1928年生まれ、1985年に57歳で亡くなりました。

       

      俯いてギターを抱え左の指でしっかりと弦を抑え、小さく口を開けて唄う老人の上にのしかかる巨大な岩石…

       

      ひとりの老人はワイングラスを前に押し黙り、ひとりは驚いたように小さく口を開け、窓の外には美しい蛾が大きく羽を広げ…

       

      作品に対峙すると思わず足が止まり、惹き込まれ、沈黙の対話が始まります。

      919日(木)までこの2点を東京店に展示しています。

      是非、この油彩画の前に立ってごご覧ください。

        

            

      「石」 F15号 1974年  

       

         

      「蛾」 F50号 1968年

       

       

      みぞえ画廊は鴨居玲作品が充実しています。どうぞお問合せ下さい。

      https://mizoe-gallery.com/products/list?category_id=91

       

      スタッフブログ2018.7.27 〈鴨居玲〉

      http://blog.mizoe-gallery.com/?month=201807

      2019.08.25 Sunday

      【東京店】取扱作家から毎週一作家1点ずつご紹介。 第22回は、ジョエル・シャピロ(1941年 〜)

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        JUGEMテーマ:美術鑑賞

         

        みぞえ画廊のコンセプト:「流行や時代に左右されない、上質な作品、作家を提供」をもとにセレクトされた取扱作家から毎週一作家、1点ご紹介します。

         

        Untitled (Double Green) 」リトグラフ74.7×1051980

         

        ジョエル・シャピロはアメリカを代表する彫刻家のひとりです。1941年にニューヨークに生まれ、現在もニューヨークに居を構え制作活動を行っています。1964年ニューヨーク大学を卒業後、1969年に同大学院文学修士を取得。1969年以降、アメリカ及びヨーロッパ各地で個展やグループ展にて作品を発表し続け、高い評価を獲得しています。

                   

        シャピロの代名詞は単純な長方形で構成された巨大な彫刻です。国内では博多駅前の西日本シティ銀行(磯崎新設計)や川村記念美術館などに収蔵されています。また、彫刻作品と並行して、繊細なドローイングやシルクスクリーン、リトグラフなどの技法による版画作品を発表。装飾要素をできる限り削ぎ落とし即物的な視覚効果を提示するミニマリズムの枠組みを踏襲しながら、主に人体などの具象的なイメージを暗示させるという美術史における転換期ともいえるスタイルを確立しています。大型の彫刻や版画など多様な作品は各国で紹介され、名実ともに彫刻界を代表するひとりとして名を連ねます。

         

        当画廊では、1979〜80年にかけて制作された初期のリトグラフ作品を取り扱っております。

         

        上記の作品は、都内に設置されている公共彫刻。(シリコンブロンズ、1988‐1990)

        場所:東京都港区虎ノ門4−3−1 城山トラストタワー(地下鉄神谷町駅から歩いて5分ほどのオフィスビルのエントランスに設置)

         

        https://mizoe-gallery.com/products/list?category_id=101

        2019.07.29 Monday

        【福岡店】 片山雅史展 「楽園 博多・夏そして天上の花」

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          みぞえ画廊 福岡店では片山雅史展「楽園 博多・夏そして天上の花」を開催しました。照り付ける太陽の中、たくさんのお客様にお越しいただいてありがとうございました。

           

           

          博多は梅雨の時期、毎年7月1日から15日まで「博多祇園山笠」という700年以上続く櫛田神社の奉納神事が開催されます。その起源は、仁治二(1241)年に博多に疫病が流行した際に、承天寺の開祖・聖一国師が祈祷水を撒いて町を清め、疫病退散を祈願したことが始まりとされています。(これは所説あるようです)

           

          片山雅史展はその「博多祇園山笠」をテーマに、本展覧会で大作を披露しました。

          全長は5m近くになるでしょうか。タイトルは「博多・夏」、近くで見るとすべて丸〇で構成された抽象絵画のようですが、遠目からご覧いただくと山笠の祭の風景になるから驚かされます。これらはすべて、雲母などの顔料で描いたミクストメディアの絵画です。

           

           

           

           

           

          もともと版画技術に長けた片山氏は、リトグラフの転写技術を用いてある風景をうつしとり、それをベースにして最終的には手で描いて仕上げる独自の技法を用いています。

           

          そして、今回の展覧会タイトルにもある「天上の花」の作品群。その姿はまるで空気を浄化するかのように、神秘的な色と光を放ち展示空間は、まさに天上の楽園に降り立ったかのようです。

           

           

           


          「お寺の天上画を見て、この絵を描こうと思った」。45cmの円形のキャンバスは天も地もない、上下をなくした世界。これは天上の想う人に手向ける花の祈り。氏は多く語りませんが、今は亡き大切な人へ捧げる作品でもあるそうです。花のモチーフ部分をあえて琥珀色のシルエットのみで描く、すると背景がぐっとこちらに近づいてきます。前と後ろ、人間の持つ遠近感すらも感じさせなくしてまう不思議な絵です。さらに光の当たり方次第で白、ピンク、紫、青、緑と七色に変わる様は、色彩を超えた光そのものを眺めているようです。五感を超えた第六感までもが刺激される様な感覚を覚えます。

           

           

           

           

           

          7/27(土) の14:00からは、みぞえ画廊にてギャラリートークを行いました。氏の画業の紹介や展示中の作品たちの解説を交えながらお話をしてもらいました。「風」「皮膜」「螺旋」と常に新しい表現を求め変貌を遂げてきたアーティストが、どんな新しい世界を見せてくれるのかを楽しみに、お昼間からたくさんのお客様に参加いただき、本当にありがとうございます。

           

           

           

          トーク後は、軽食とワインを交えながら懇親会をしました。終始にぎやかな時間となり、トークでは聞けなかった秘話などをゲストの方とお話しました。ちょうど会期中に博多祇園山笠も終わりを迎え、梅雨明けの蝉の声とともにみぞえ画廊の夏は片山雅史展「楽園 博多・夏そして天上の花」とともにはじまりを迎えたのでした。

           

          かたやま まさひと/1984年京都市立芸術大学大学院修了/’88年A.C.C(アジアン・カルチュラル・カウンシル)の招聘により渡米(〜’89)/’95年文化庁派遣芸術家在外研修員として渡英(〜’96)/2004年「第5回21世紀の作家−福岡 片山雅史展 皮膜2004−知覚の森へ」(福岡市美術館)開催/’07年第3回成都ビエンナーレ出品/現在、九州大学大学院芸術工学研究院准教授
           

           

          2019.07.27 Saturday

          【東京店】 古希記念 金明植展 〜幸福な家〜 開催中

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            JUGEMテーマ:展覧会

             

            東京はすっかり夏模様です。

            長い長い梅雨の終わりはまだ発表されていませんが、近くの多摩川では川遊びに精を出す子供たちの姿がちらほらと。曇天が去って、待ってましたとばかりに活気づく人々の姿に夏の訪れを感じます。

            夏空広がる田園調布のみぞえ画廊東京店では、金明植展〜幸福な家〜を開催中です。

             

             

             

             

            みぞえ画廊福岡店から巡回してきた今回の展覧会は、今日で早くも折り返し。福岡同様、新作40点が展示中です。

             

            前回のブログは展覧会・イベントの様子が主な内容でしたので、今回は作品について少しご紹介します。

             

            金氏の作品のテーマは“人と家”。

            ニューヨークのコーヒーショップからの景色からインスピレーションを得ました。

            「East Side Story」と題された一連のシリーズは、テーマとモチーフは一貫していますが、その作品のバリエーションの豊かさには驚くばかりです。

             

            ≪East Side 19-FE01≫

             

            ≪East Side 17-F01≫

             

            ≪East Side 19-F15≫ ↑氏のお孫さんをイメージして描いたとのこと。

             

            ≪East Side 19-F04≫ ↑息子を肩車するお父さんのようにも見えます。

             

            色彩のバラエティーには人種や国籍などの違いを感じさせるだけでなく、

            喜びや悲しみといった人の感情までもがうつしだされているようにも感じます。

            それでいて建造物の持つの静かな堅固さは崩れない。まさに“人家一体”のたたずまいです。

            人のぬくもりと家のもつ安心感を掛け合わせたような雰囲気に心が和みます。

             

            ≪East Side Story 19-FE01≫

             

            ≪East Side 19-M08≫

             

            美術の楽しみ方は十人十色です。

            作品の中に、何を思い浮かべるかはその人次第。

            金氏の作品についていえば、それはきっと幸福な何かに違いないでしょう。

             

            当展覧会は、8月4日まで開催しております。

            心と暮らしに安らぎを与えてくれる1枚がきっとあるはずです。

            ぜひご来廊ください。

            2019.07.07 Sunday

            【福岡店】 古希記念 金明植展 〜幸福な家〜開催しております

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              福岡は梅雨に入り、博多祇園山笠のシーズンとなりました。世界を股にかけ活躍する韓国出身のアーティスト金明植の新作展を、みぞえ画廊 福岡店にて開催しております。七夕飾りを画廊のエントランスにて飾っています。

               

               

               

               

               

              代表的な作品シリーズ「East Side Story」を中心に、バリエーション豊かな作品が顔を並べます。

               

              金明植氏は2000年単身ニューヨークに渡った際、コーヒーショップの窓の外を通り過ぎて行く様々な人種と、車窓から見たマッチ箱の様な家々を見て、家をモチーフとして描く「East Side Story」シリーズの制作を始めました。家は人間にとって最も安息できる場所であり、その家と様々な人種が一体化したかのような一連の作品には、そこに暮らす人々の喜び、悲しみ、そしてシリーズ名に冠された「East Side(東側)」には、常に太陽が昇る方角を希望と祈りの象徴として多様な人種が平和に暮らす世界への希望が込められています。

               

               

               

              展覧会初日は、金氏を囲んでささやかなオープニングパーティを開催しました。ソウルから来福した金氏には、数日間在廊いただきました。乾杯の挨拶の時に、実は3か月前に最愛の奥様が他界したことを告白され、「このような最中、この個展がみぞえ画廊で開催できたことを嬉しく思います」と涙ながらに語られていたのが印象的でした。

               

              パーティには金氏が日本に滞在していた時のご友人の方々、画家仲間のみなさんがお越しくださいました。最後はみなさんで「キムチ〜」と掛け声をしながら集合写真を撮影しました。

               

               

               

              パーティの翌日には、予告していたライブペインティングも開催しました。多くのお客様がお越しになり、通訳の方を通して解説を交えながら、金氏はペインティングナイフ一本で、キャンバスに向かいました。たまたま通りがかった観光客のイタリア人ご家族も珍しそうに、そして真剣に氏のライブペインティングをご覧になっていました。

               

               

               

              そして1時間もしない間に…、月夜の下2つの家が並ぶ絵が描き上がりました。この光景は”夫婦”をイメージしているそうです。そしてなんと、完成した作品はその場にいたお客様に抽選でサプライズプレゼントすることになりました!紙くじを引いて、一斉に開いて…1人の女性に大当たり♪「夫婦の絵なんて感慨深い、帰ったらすぐ主人に見せたいです」と大変喜ばれた姿が印象的です。

               

               

              古希を迎える氏の記念となる本展では、アメリカ、日本、韓国、3つの時代を回想し制作した新作40点を展示しております。

               

              2019.06.03 Monday

              【福岡店】 ―没後80年―野田英夫展を開催しております

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                福岡ではそろそろ梅雨の気配を感じます。新緑も美しくお散歩がてら美術鑑賞はいかがでしょうか。

                みぞえ画廊 福岡店では「―没後80年―野田英夫展」を開催しております。

                 

                 


                野田英夫については、当ブログでも数回に渡りご紹介しています。1930年代の経済恐慌に見舞われたアメリカの、都会で生きる庶民の生活に目を向け、その哀歓を優しく見つめる画風を展開。アメリカのサンタクララで生を受け、その30年という短い生涯を駆け抜けた夭折の画家でした。今年は没後80年という節目ということで、福岡店にて「野田英夫展」を開催する運びとなりました。

                 

                これまでの野田英夫に関する投稿はこちらをご参照ください。


                取扱作家から毎週一作家1点ご紹介。 第11回は、野田英夫(1908年〜1939年)
                東京店にて10月6日から − 生誕110年 − 野田英夫展 がスタートします。

                 

                 

                 

                 

                通り雨(ウッドストック ニューヨーク)

                1932年 油彩 51 x 61cm

                 

                 

                『ストリート・ガール』

                水彩 21.1x16.6cm 1936年

                 

                 

                『授業風景』

                ペン画 35.7 x 26.2cm 1936年

                 

                 

                 

                野田英夫

                『ミルバレー草上にて』

                水彩 16.7 x 26.2cm  1937年

                 

                素描を中心に展示してある作品の中から、一点ご紹介させていただきます。
                1932年に、2歳年下のアメリカ人女性ルース・ケルツと運命的に出会い、24歳の時に電撃結婚をした英夫。結婚後は単身サンフランシスコに住んでおり、これはその時に書いた愛妻ルースにあてたデッサン付きの手紙です。以下は全文訳です。

                 

                「今日は、ハイキングをしたミルバレーの風景と私自身の印象を思い浮かべて描いてみました。私はやわらかくやさしい新緑の草原に寝転んでいます。遠くには、サンフランシスコ湾と、最近新しくかけられた橋がみえています。もう約1時間あまり私はそこにいます。私はどこへゆくのも1人です。そして、いつも貴方の事を考えています。たくさんの花を摘み、あの丘の美しい空色の花々の中ですごしたサウサリートでのひと時を思い出します。
                私は1頭の白馬と、あたたかそうな灰色の長い毛をしたラバに会いました。両方ともはじめはあまり友好的ではなく、おい、こっちへ来て一緒に遊ぼうといっても、とても用心深そうにしていました。そこで私は、草をつんで彼らと仲良くなろうと思いました。ようやく馬とラバはやってきて、私のつんだ草を食べました。 
                私は空と草が大好きです。大きな伸びをしてみると、本当に気持ちの良いものです。貴女が私のそばにいないのだという事をのぞけば、全ては、素晴らしい。貴女がそばにいてくれたらと心から思います。貴女に、私の心からの愛とキスをおくります。どうか、あまり悲しまずにいてください。友達と会い、たくさんの本を読んでください。
                今日は散歩に出かけましたか?私は1人ですが、とても幸福で満足しています。私が今穏やかな気持ちでいられるのは、貴女が私のことを思い、愛してくれるのを知っているからです。私は貴方に、以前にもまして愛をおぼえます。今まで私たちのした全ての言いあらそいを忘れます。あれは、ただ、単調な生活をこわそうとするゲームのようなものです。私もほんとうに頑固で、我ままだったことも多くあります。しかし、許して下さい。そして愛して下さい。私にはたくさんの貴女の愛が必要だからです。愛の中にいるということは、本当に素晴らしく楽しいことです。何も苦悶したりする問題はありません。私は全ての困難を打ち負かすことができます。いままでのいつの時にもまして、私は力を感じます。それは、貴女がいつも私と一緒にいてくれるからです。貴女の最愛の夫 英夫」
                (参考文献:窪島誠一郎(1985)「野田英夫スケッチブック」彌生書房)


                左上に描かれた愁いを帯びた表情の女性像はおそらくルース、真ん中にぽつんを佇む姿は英夫自身と思われます。とてもロマンチックで英夫から妻への愛情があふれるような一枚だと思いませんか。相思相愛のような二人ですが、英夫はしばしば妻のもとから離れてひとり創作に打ち込むような時期があったようです。それは英夫自身が、アメリカ人女性の妻と日系二世である自分の間にうずめきれない精神的な溝のようなものを感じていて、絵を描くことでその心の影を感じないようにしていたのかもしれません。妻ルースは、英夫の最期を看取る前に日本からアメリカへ帰っており、ビザの関係でそうせざるを得なかった、または日本語が話せないルースを気遣って周りが帰ることを勧めたとも言われています。

                 

                 


                画廊の2階では、国内外問わず英夫と関連があった作家たちの作品を展示しております。同じ新制作派協会だった猪熊弦一郎、脇田和やカルフォルニア美術学校時代からの友人である寺田竹雄、その寺田と制作した西銀座のコットン・バーの壁画を大絶賛したという藤田嗣治、熊本の同郷である牛島憲之などを展示中です。

                 

                英夫がニューヨークのマディソン街にいたころは、以前にも増して数多くの展覧会のために画廊や美術館をまわって歩いたようで、ピカソ、ゴッホ、エルンスト、ダリなど英夫が美術雑誌に感想を寄稿している展覧会の作家たちも同じ2階に展示をしております。


                野田英夫展は6月9日(日)までとなります。この機会にぜひお越しください。

                 


                のだ ひでお/1908年カリフォルニア州サンタクララに生まれる。'11年郷里熊本の叔父の家に預けられる。'26年熊本県立中学卒業後単身渡米。'29年カリフォルニア・ファイン・アーツ入学。'31年ディエゴ・リベラに出会う。ニューヨークのウッドストック芸術村に転居。 '34年ホイットニー美術館に《街頭風景》が収蔵される。'37年パリ・ローマなどを歴訪し日本に帰国。'38年田園調布の猪熊弦一郎留守宅に転居。長野県野尻湖畔滞在中に発病し入院。'39年脳腫瘍により逝去。

                2019.05.26 Sunday

                【東京店】取扱作家から毎週一作家1点ずつご紹介。 第21回は、児島善三郎(1893年 明治26年 〜 1962年 昭和37年)

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                  JUGEMテーマ:美術鑑賞

                   

                  【東京店】取扱作家から毎週一作家1点ずつご紹介。

                  21回は、児島善三郎1893 明治26 1962 昭和37年)

                  みぞえ画廊のコンセプト:「流行や時代に左右されない、上質な作品、作家を提供」をもとにセレクトされた取扱作家から毎週一作家、1点ご紹介します。

                   

                  「田園早春」油彩F4号 1960年頃

                   

                  明治4519歳で長崎医学専門学校薬学科に入学しますが、画家を志して中退。大正2年、父親の反対を押し切って上京します。美術学校の受験に失敗し、結核を罹患して帰福。5年間の療養の後、家督を弟に譲って再度上京します。病気をしたことで、何が一番大切かを教えられた一方、居宅近辺、自宅の庭、アトリエの人物、静物などのモチーフが多いことは、病弱な体質であったことと無関係ではありませんでした。

                   

                  児島善三郎の作品はアトリエの場所によって、板橋、代々木、国分寺、荻窪、そして滞欧時代などと分かれています。風景画は戸外にイーゼルを立てて写生を基本としました。大胆な筆づかいは、田園の空気にひたりながらひたすら形を崩して描写的要素を溶かし、その空気の実感を掴み取ろうとしました。

                   

                  アトリエで描かれた花の絵は、驚くほどくっきりとしています。数日でしぼんでしまう弱い花を、赤、黄、白と力強く明快な色づかいで描いています。鋏で切って思い切りよく花瓶に挿し、形を作り上げた勢いが感じられます。

                   

                  50代後半、「油彩画は西洋から日本へ移植されたものだが、もうそろそろ日本人の感性にしたがって個性を出すべきである。日本的創造精神によって日本人らしい油彩画をつくりあげればそれが世界的になり、日本の油彩画として独立し、国際的に外国へ働きかけることも不可能ではない。」と語り、世界的視野で創造すべきだと唱えました。

                   

                  19612月、再び渡欧を決意しますが持病の徹底的治療のため稲毛の額田病院に入院。入院に際して描きかけの旧作100点近くを庭先で焼却したと次男徹郎氏は語っています。翌年3月肝臓がんで死去、69歳。「田園早春」は晩年荻窪時代の貴重な作品で、現在東京店に展示中です。

                  ぜひご高覧賜りたくご案内申し上げます。

                  https://mizoe-gallery.com/products/list?category_id=101

                  2019.05.12 Sunday

                  【福岡店】 西洋名画コレクション展は会期を5月15日(水)まで延長いたしました

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                    ゴールデンウィークは、みなさまいかがお過ごしでしたか?

                    みぞえ画廊 福岡店ではただ今「西洋名画コレクション展」を開催中です。西洋美術の巨匠による選りすぐりの名画を一挙に展示しております。

                     

                    西洋名画コレクション展

                     

                     

                    まず、黒壁で展示している作品は、今回の展覧会にて福岡店では初公開のコレクションとなります。ブログではその3作品を主にご紹介させていただきます。
                     

                     

                    西洋名画コレクション展

                     

                    クロード・モネ (1840-1926)
                    『ジヴェルニー風景』
                    油彩 66x81.6 cm 1886 年

                     

                    青々とした緑と木々が生い茂るこのジヴェルニーの風景は、チューリップシーズン中にモネがオランダへの短期旅行から戻った後の、晩春または夏に描かれたようです。丁寧に構成されたパッチワーク風の異なる形や色、質感が見てとれますが、その描写は光のあたる部分により緻密に施されているのがおわかりでしょうか。モネはのちの妻となるアリス・ホシェテと8人の子供を連れて、1883年から住んでいた自宅から歩いて数分の小さな町、ジヴェルニーの東の丘の中腹にイーゼルを置いてこの風景を描きました。自然をいとおしみ、自分の持つ感性を表現し続けたモネは「私はまだ印象派だ、そしてそうあり続ける。」と言葉を残しています。本作品は1977年から2018年までニューオリンズ美術館に寄託された経緯もあります。

                     

                     

                    西洋名画コレクション展

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                    モーリス・ユトリロ (1833-1955)

                    『シュヴァリエ・デ・ラ・バール通り、モンマルトル』

                    板に油彩 74.3×51.8cm 1917-18年頃 

                     

                    ユトリロは生まれ育ったモンマルトルを中心に、繰り返し哀愁を帯びたパリの街角の風景を描きました。シュヴァリエ・デ・ラ・バール通りとは、サクレ=クール寺院へ続く道のことです。円形ドームを載せたサクレ=クール寺院は、普仏戦争での敗北を契機に計画されて、1910年に完成し、以後モンマルトルの象徴として親しまれています。このシュヴァリエ・デ・ラ・バール通りを行く人々は、漆喰が幾層にも塗りこめられた白い建物のあいだを抜け、礼拝のためにモンマルトルの丘を登って行きます。ゆるやかな道を中心に、街路が広がる奥行きのある構図は、ユトリロのもっとも得意としたもので、本作ではその構図が見事な調和を感じ取れます。

                     

                    ユトリロは印象派の画家が屋外に出て行ったのとは対照的に、独りアトリエに閉じこもり、パリの街並を撮影した絵はがきをもとに、同じ構図の作品を何枚も制作したといわれています。本作品は、1907—13年の「白の時代」から1913年以降の「色彩の時代」へ移行後に描かれており、ユトリロが傑作を最も多く生み出した1910年代の典型的な名品のひとつといえるでしょう。

                     

                     

                     

                    マルク・シャガール (1887-1985)

                    『ラ・バスティーユ、習作』

                    紙に油彩、ガッシュ 51.1 x 65.7 cm 1954年

                     

                    マルク・シャガールは帝政ロシア時代のヴィテプスク(現ベラルーシ共和国)のユダヤ系家庭に生まれました。1944年、亡命先のアメリカで愛妻ベラを喪った後、パリに戻って67歳の時に描いた『ラ・バスティーユ』。ベラの死から10年の月日が経っていました。故郷ヴィテブスクを象徴する赤い牛の胴体部分にパリのバスティーユ広場の風景が描かれ、全体はシャガールの青で包まれています。愛と情熱の赤い風景に浮遊する恋人たちや、恋人に捧げる花束も描かれています。これらは、シャガールの作品に登場する最も代表的なモチーフの数々で、シャガールの一つの時代の要素を完璧に収めています。版画制作のために描いた習作と思われ、同じ構図の版画作品が存在します。

                     

                    展覧会では4点のシャガール作品を特集しており、彼の半生を象徴する各時代の名画をご覧いただけます。

                     

                     

                    西洋名画コレクション展

                     

                     

                    「西洋名画コレクション展」はご好評につき、会期を延長し5月15日(水)まで開催する運びとなりました。巨匠の作品一点一点を間近にじっくりとご覧いただけます。ガーデンには色とりどりの花が咲き、初夏の日差しを浴びて一番美しい頃合いです。この機会にぜひ、みなさまのご来廊をお待ちしております。

                     

                     

                    西洋名画コレクション展

                    2019.05.07 Tuesday

                    【東京店】取扱作家から毎週一作家1点ずつご紹介。 第20回は、梅原龍三郎(1888年〜1986年)

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                      JUGEMテーマ:美術鑑賞

                      【東京店】取扱作家から毎週一作家1点ずつご紹介。 20回は、梅原龍三郎1888年〜1986年)

                      みぞえ画廊のコンセプト:「流行や時代に左右されない、上質な作品、作家を提供」をもとに取扱作家から毎週一作家、1点ご紹介します。

                       

                        『裸婦図』 1977年 油彩20.4x32.2cm

                       

                      梅原龍三郎が生まれたのは、日本における西洋風美術いわゆる洋画が手探りの段階からようやく本格的な段階に入った時期です。尋常小学校に入学した頃、黒田清輝や久米桂一郎が天真道場を開き、高等小学校に入学した頃、岡倉天心が日本美術院を創設。中学に入学した頃はパリ万博が開かれて黒田や久米が渡欧。こうした時代の流れの中で、梅原は洋画家としての一歩を踏み出しました。病気で中学校を中途退学した15才の梅原は伊藤快彦に洋画の手ほどきを受け始めます。

                      梅原家は京都で30人もの使用人を抱えた悉皆(しっかい)屋(染め物などの注文を取り、専門店に取り次ぐ)日々白生地の図案、染色、刺繍などの職人の仕事や、光琳、宗達といった知識を幼いころから耳にし、日常生活の中で、日本の伝統的で洗練された美的感覚を身につけていったことがうかがわれます。

                       

                      満20歳を迎えた梅原は、同門でライバルでもあった安井曽太郎が渡仏したのを追うように1908年(明治41年)フランスへ旅立ちます。第一次滞欧期の最も重要な出来事は、ルノワールとポンペイ壁画との出会いです。1908年パリに着いた翌日、初めてルノワールの絵を観て、「ここに来た価値があった!」と梅原は心の中で叫びます。半年後、ルノワールを訪ねると、「自然をよく観なさい。君は色彩を持つ。それが備わっているのがいい」と褒められました。

                      第二次滞欧期、梅原に最も影響を与えたのはギメ美術館で東洋美術に接したことと、ナポリを訪れたことでした。東洋美術への関心はその後、菱川師宣などが浮世絵を参照した裸婦像の制作へと発展していきます。

                      1935年(昭和10年)頃には、モデルのフォルムと量感を捉えながら、奔放に色彩を駆使し、生命感溢れる梅原様式とよばれる独特の裸婦像を確立しました。

                       

                      パリ、イタリア、ニューヨークなどへ度々旅行をし、1976年88歳の時、パリでモデルを雇って制作し、翌1977年にも渡仏します。本作「裸婦像」はその年に描かれました。体力の衰えはありましたが、晩年はアトリエで制作可能な静物画や裸婦、新しいモチーフとして身近な人々の肖像画を描きました。

                      長命を保ち、一貫して優れた画業を創造し続け、日本近代洋画界に大きな足跡を残した梅原は、「葬式無用 弔問供物 固辞する事 梅原龍三郎 生者は死者の為に煩わさるべからず」という遺言状を残し、多磨霊園で永遠の眠りについています。

                      東京展にて現在開催中の《日本近代名画展》にて梅原龍三郎『裸婦図』を是非ご覧いただきたく、ご案内申し上げます。https://mizoe-gallery.com/products/detail/862

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